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富田製薬の紹介スライドショーをご覧いただき、ありがとうございます。
私たちは皆様の生活になくてはならない製品を、誇りを持ってご提供しています。
原料メーカーだからこそ、医薬関連商品、食品関連、工業薬品の社会の基礎となる分野での活躍を可能としています。そして、これからの新たな社会へ向けて、そして世界へ向けて、他にはない新しい製品の開発・提供を社員一丸となって目指します。
その想いが少しでも伝われば幸いでございます。

富田製薬の歩み

ここで富田製薬の歴史を紐解きたいと思います。
富田製薬の創業者は、静岡県出身である富田久三郎です。創業者・富田久三郎は、19歳(明治4年)の頃には既に、製薬及びに電気機会製造業を開業していました。製薬技術の進化を目指すため、当時は非常に高価であった『炭酸マグネシウム』を安価に量産するため、苦汁を原料とする製法の本格的な研究を始めました。炭酸マグネシウムは、天然物として産出されており、医療用では制酸剤、緩下剤、また散布剤、歯磨粉の材料としても使用され、また後年では工業の発達に伴い、広範囲の用途開発が行われるようになりました。この研究には多大な費用が掛かるため、その他の製薬で得た利益を全て、この研究に注ぎました。

当時、諸外国との不平等条約による制限のため、外国商品流入により国内産業の壊滅的状況が国内でも深刻な問題となっていました。イギリスから炭酸マグネシウムを大量に輸入していたのですが、それでは日本の製薬・工業の発展に未来はないと考え、外国品に勝る国産品の製造を早急に達成することを使命としました。

田久三郎は、寝食を忘れ研究開発に没頭。しかし、石のように固く、あるいは泥のようにもろく、土砂のように粗雑なものがしばしばでき、輸入品には到底及ばず、従来の製法では、いくら心血を注いでも完成の道が見えませんでした。そこで、新たに学んだ学理を実地に応用し、化合釜、乾燥室、洗浄器、濾過機、造形箱、風送室、溶解鍋など各種の機械器具や装置を発明。明治10年3月ようやく研究の域を脱して、待望久しい純良品製法の完成となり、日本で初めての製品であり、純国産品となりました。富田久三郎の炭酸マグネシウムの製法完成から日本の薬学・化学が大きく歩み始めました。

明治26年、富田久三郎は、原料である苦汁が入手しやすい徳島に移住し、炭酸マグネシウムの製造・硫酸マグネシウムの製造を本格的に始動させ、富田製薬は創業。
その後、日本塩の製造、透明ゴム用炭酸マグネシウムの製造、硫化ソーダの製造、医薬品原料の製品開発など、日本の医薬・化学工業をけん引する開発・製造を行っていました。

努力と熱意、研究と創造、そしてお客様、未来の社会に向けて、不可能だと思われることを、可能とし実現する精神を創業者から引き継いでいます。
近年では、日本トップシェアである粉末透析剤を開発・製造し人工透析を必要とする患者の生命を守っています。

これからの社会、未来へ向けて、創業の志を胸に、新たな歩みを続けています。

人事からのご挨拶

こんにちは、富田製薬株式会社 人事部の斎賀です。
紹介スライドショーならびに富田製薬の歩みを最後までご覧いただき、ありがとうございます。
富田製薬は、社員が皆仲良く、アットホームな雰囲気で楽しい職場です。社員が幸せだからこそ、大きな挑戦や夢を叶えることができると考える経営方針があるからです。

私たちの想いに共感し、共に新たな挑戦を目指してくれる人材と出会えることを楽しみにしています。